「元気の出る刺激」 子どもを伸ばすための必須ツール! 同時に、人間関係の基本!
カウンセリング理論(心理療法)の一つに「+のストローク(刺激)」があります。いろいろな技法を試してきましたが、結果的にこれが実践的で、成果を上げやすいものと感じています。
教育関係者向けに書いた文章ですが、ご家族の方々もきっと分かりやすい内容と思いますので興味があったらご一読ください。
「褒めて育てる」という言葉は普及していますが、その理論的な裏付けにもなろうかと思います。
子育てに限らず、人間関係の基本とも言えることと思います。
「プラスのストローク」とは
「+(プラス)のストローク」のすすめ~「育てる生活指導」の実現のために~ 交流分析の「ゲーム分析」における「ストローク理論」を学校づくりに生かそう |
筆者は30年以上中学校で勤務してきて、カウンセリング、教育相談を学び始めておよそ20年になります。若い頃はコワモテの、悪い意味での管理主義一本やりの指導理念で日々を過ごし、ずいぶん生徒を傷つけてもいたことでしょう、恥ずかしい限りです。3校目で、幸いなことに良き先輩に出会い、教育相談の世界へ導いていただき、その頃からこちらの学会にお世話になっています。おかげでかなり自己変容を遂げることができたと感謝しております。
これまで自分なりにカウンセリング、教育相談を学んで学校現場に取り入れるべく、出来る限り実践をしてきたつもりです。その道は、いつも新しい理念や手法の実践ということでしたから、特に教務室の中ではさまざまな葛藤を生むこととなってしまいました。つまり、なかなか理解されない場合が多々あり伝統的な指導観との対立が生まれ、孤立もし、陰口を叩かれたりと、寂しい思いをいつもしてきました。そんな時に励みや支えとなったのは、この頃から導入されつつあったスクールカウンセラーさんや、それに準ずる相談員さん、開明的な養護教諭の方々でした。まだまだ「相談室なんか行くな、保健室で遊ばせるな!」「なにがカウンセリングだ」などという風潮が教員の中では一般的で、たくさんの支援のチャンスを逃していた頃です。同じような悔しさ、悩みを抱えながら、でも、これからの可能性を信じ励ましあってきたわけです。今は、さすがにそんな教職員はほとんどいなくなりました。いたとしても、そういう方は生徒への指導においてうまくいかず苦しんでいます。保護者としょっちゅうトラブルを起こしています。それは今となっては自業自得としかいえません。守株・・・防衛的になっているのか、新しい世界を見ようという積極性や柔軟性を失っているのか、残念としか言いようもありません。そういった方は、この世界から引退するか、はたまた、勇気をふりしぼって、自分を変える努力をするしかないでしょう。
今の状況になるには、振り返ってみると20年、25年という時間を要しました。特にここ10年は大きく変わったように感じ、喜んでいます。実際に現勤務校のここ数年の流れは、たぶん私たち教育相談を学ぶ者の望むような形に添ったものであり、大変好ましい学校の姿となっています。生徒は職員から頑張りを認められ励まされ、自主的に動き、様々な分野で高い成果を挙げています。それに反比例するかのように教師が厳しく叱責したり怒鳴りつけるなどという場面はほとんどありません。まったく無いといってもよいでしょう。そのようなことをする必要がないからです。これまでは「荒れている学校」の代名詞のように陰口を叩かれてきた当校ですが、文字通り劇的な変容ぶりです。そして近隣の学校の様子を伺いますと多かれ少なかれ同様の好ましい変化が生まれているようです。うれしい限りです。
なぜ状況がよくなったかと考えますと、世代の交代が進み、教育相談の重要性を理解している管理職の方々が増えてきて、それが一般的になってきたことが大きいと思います。加えて、特別支援の観点を持ち合わせていかないと、今は学校運営ができない時代となりました。そういうセンスを持ち、勉強をされた管理職が大勢いらっしゃるということは大きく流れが変わったということで、自分としては感無量であります。そして当学会は早くからそのけん引役を担ってこられたわけです。先輩諸氏の長年のご尽力に深く感謝申し上げます。
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実際に役に立つ理論は?
さて、教育相談、学校カウンセリングといっても大変間口が広くて、キラ星のようにある理論を目の前に、初心者はきっととまどってしまうことでしょう。何から勉強すればいいの???
たとえば、精神分析的な思想と行動主義の立場を取る人の間は、あたかも対立した関係に思えることでしょう。同じカウンセリングの世界なのに、なんでケンカしてんの??? などと。私は学者ではなく現場主義ですから、役に立てばなんでも使えばいいと思います。どちらにも有効性はあると感じているので、良い所取りをして活用すればいいのに、と思っています。いわゆる折衷主義ですが、まだまだ問題はあるようです。
そこで、これまで拙い実践をしてきた中から、分かりやすいな、使いやすいな、実践しやすいな、と感じている手法を今回は紹介しお勧めしたいと思います。
それが表題に掲げた、交流分析の「ゲーム分析」におけるストローク理論です。
この考え方の良い点は
1、きわめて明快な理論、シンプルで理解しやすい。
2、だれでも実践でき、しかも学級・学年・学校運営に即座に役立つ。
3、予防的、開発的、または育てるカウンセリングという意味で、生活指導の要となる。
4、昨今強調される「褒めて育てる」ことの理論的裏づけとなる。
5、広く活用されている「Q-U」とも関連を持たせることができる。
6、なによりも、教師と児童生徒との交流が深まり教育効果もあがる、生活指導上の悩みが減る。つまり教師の仕事が楽しくなる。
などが挙げられます。
我々、教師の苦労の中で、生活指導のストレスの占める割合はかなり大きいのではないですか?
指導の通らない子ども、反発するばかりの子ども、先の見えない不登校の問題、なかなか見えづらいいじめの問題・・・思い返せば本当に気の重くなるものです。そして難しい子どもがだんだん憎くなったりします。「この子さえいなければ・・・」と。これは教師としては、あってはならない感情ですね。
しかしこれらの問題がほとんど無いとしたらどうでしょう。確かに事務仕事や部活動などの負担は大きいものですが、それらは時間が解決してくれるものであり、健康であればさほどストレスを感じずにこなしていけるでしょう。
生活指導上の問題が少ないということは、「生徒を憎まずに済む」ということにつながり、良好な子ども達との関係が、疲れている時にはむしろ「張り合い」や「癒し」となることでしょう。
そのような流れを作るうえで、この理論は大変有益であると考えています。
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不毛な交流「ゲーム分析」におけるたいへん重要な「ストローク理論」
「ほめて育てる」ことの理論的裏づけとなる大原則!となりますので、次の大原則を覚えていてください!
人は常にストローク(刺激)を求めます。 *肯定的ストローク(+のストローク)= 心地よい刺激のこと = 「承認・愛情」愛撫、優しい声、気持ちよい音、ほめ言葉、励まし・・・ *否定的ストローク(-のストローク) = 不愉快な刺激のこと注意、責める言葉、バカにする言葉、低い評価・ ・・人はもちろん肯定的な+のストロークを求めるが、それが満たされないと、代わりにマイナスのストロークを求めるようになります。 |
つまり、「かまってもらえない、無視される」ことに人は耐えられないということ。孤独より、イジられている方がまだよい・・・ということ。パシリにされる子や非行の心理の裏づけかも。
交流分析でいう「ゲーム」とは・・・
ふだんから肯定的(+の)ストロークが得られない人が、しかたなしに否定的ストロークを求めて、無意識にまわりにしかける人間関係ゲーム。結末は必ずどちらも不愉快な思いをしてしまう。否定的(-の)ストロークのやりとりが習慣化したもので、同じことをくり返すことが多い。(又、やはり、こうなっちゃった)
例、愛情が欠乏し、「良い所」がないなどと長所が認められない子
→ 非行などで自分の存在をアピールする。「やっぱり、おれはどうせこんなダメな人間なんだよ。」
様々な問題行動は、すべて「ストローク」を得るため!しかも、マイナスの。だからこそ、普段、プラスのストロークで満たされていることが重要。「予防」になるのです。 集団生活を強いられる学校は基本的に「-のストローク」のかたまり。ゲームにはまっている「問題児」には、「+のストローク」を得る喜びを知らしめる必要があります。普段なにもない時こそチャンス、重要です!たくさんの温かい声がけ、関わりを10倍にしましょう! 何かしでかした後の注意・叱責だけでは、「やっぱり!」感を増強し、かえってゲームを強化してしまうものです。(さらに悪い状況に) |
「褒めて育てること」を“趣味”の問題にしてはいけません。「自分は硬派で、そういうことは性に合わない。」ではやっていけないのです。教師(おとな)はプラスのストロークをかけることができなければだめ!ということです。ただ、「褒め方」のスタイルはいろいろ。その段階で自分のスタイルを持てばいいわけです。
硬派の方は、たとえば高倉健さんを真似たらいい、少ない言葉の中に深く重い+のストロークを入れればよいのです。また、やさしい女性タイプは、慈愛に溢れたお母さん(お姉さん)になりきればいいのです。
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具体的実践
なんとなくイメージはつかんでいただけたと思います。しかし、明日から具体的に実践できるものでしょうか? 理論は具体化しなければ絵に描いた餅です。「分かっちゃいるけど、実際は・・・」では、まったく意味がありません。ここからは具体的に何をどうするかを述べます。これはこれまでの実践をもとにしたものです。
最終目標は「自己肯定感を高める」!
すべての教育活動(学校も家庭も社会も)は自己肯定感を上げるものでなければ意味がありません。指導したら劣等感を持った、自信を失った、・・となったら、そんな「指導」はしないほうがよいわけです。そもそも「指導」ではないのです。
効果的な指導のためには・・・
1、プラスのストロークの名人になろう!
「+のストローク」は正当な報酬! それは「自己肯定感を高め、やる気を育て、良い循環を作るため。」の栄養
ここからは「褒める」という言葉をいったんやめます。少々誤解を招くので。かわりに「+のストローク」を使います。どういう意義があるかを説明します。
A
「+のストローク」は、ある人が行ったことに対する「正当な報酬」と考えてみましょう。
例えば、夕食後に子どもが自発的に食器洗いを行った、という事実があったときに、家族が「ありがとう」「よくやってくれたね」などとねぎらうことで、子どもは「ああ、やったことを認められた、うれしい、」と喜びの気持ちを味わうでしょう。いい気持ちになるわけで、行動により精神的な「報酬」を得たことになります。それはお金にも勝る歓びとなるでしょう。その報酬は必要以上のものでしょうか? 常識的に考えて、人々は「当然の報酬」と思うでしょう。そうすべきだと思ってもいただけるでしょう。でも、ほんとうに生活の中で「当たり前」になっていますか? 案外、おとなはその一言をサボっていませんか?学校ではサボってきたことが大変多いんですよ。教員の皆さん、観察してみてください。例えば、係の仕事で教務室に来た子どもたちに、そのつどプラスの声がけを誰か必ず意識してかけていますか? おとな同士なら「ありがとう、ごくろうさま、・・・」などと普通言うはずですが。案外言ってないのでは? たくさん、普通に、ねぎらいの言葉が出ていれば、それは良い学校の証だと思います。
このように、子ども達ががんばったこと、好ましい行動・あり方には、すかさずねぎらいや感謝や賞賛の言葉をかけてほしいものです。というか、必須のものです。当然の報酬ですから。我々教師もサービス残業は多いものですが、それを管理職が当然のことと、何も言わなければ腹が立ちます。しかし、言葉だけでもねぎらいや感謝の一言をもらえば、案外むくわれるものです。もちろん残業代もほしいんですが。
いちばん情けないパターンは、「係活動はやって当たり前だろ、いちいち褒めてられるか、それより、入室の声が小さいな」などという感じで、「声が小さいよ、やり直し!」などと叱りつけている場面です。私も昔はそうでした、それが当たり前のことでした。しかし、それで生徒は育ちませんでした。がんばっている生徒はかわいそうです。
うまくいっていない学校は、まずこういう部分が足りません。「給料未払い状態」で欲求不満がつのっています。そして学校全体のムードが暗い・・・つまり教務室にくる生徒への対応の雰囲気でその学校の生活指導の程度が分かるとも言えます。うれしそうに子どもたちが教務室から出て行く学校は雰囲気の良い学校のようです、体験上。
B
報酬をたくさんもらえば、人はリッチになります。心の空腹が満たされれば、気持ちに余裕が生まれ、またそういう自分が好きにもなるでしょう。そして、「自分はこれでいいんだ」という自己肯定感が高まります。そうなれば、自信が生まれてくるでしょう。自信があれば自分から「できるだろうから、やってみるよ」という積極性も生まれます。自らやる姿勢ができれば、もう放っておいても大丈夫。どしどし物事に挑戦していきます。そして、おとなは、その都度「おお、がんばってるね、やれたね、感心した!・・」などと「+のストローク」をかけ続けていればいいのです。たとえ失敗しても、「よく頑張ってたじゃないか」と取り組みそのものを評価してあげればよいわけです。それで子どもは、人は報われます。
C
そうしているうちに、学習面も、行事や部活などの特別活動の面も、生活面もしだいに向上が見えてくる・・・・
これが「良い循環」です。勝手に物事が動き出し成長していきます。
どう学力をあげるか、が全県的に問題視されますが、宿題の量の検討やら家庭学習時間の調査やら、小手先の授業テクニックの工夫とか、毎年のように話題にされたり実施される割に効果をあげられないようです。
それは、「飲みたくない馬にいかに水を飲ませるか」を頑張っているのですが、それよりも、「好きこそ物の上手なれ」、やる気を育てることに力を注いだ方がより効果的と考えますが、いかがでしょうか?
そんなに簡単にいくか、と言われそうですが、現勤務校はこの数年でこの流れが定着しています。一定の落ち着きがみられ、行事・部活動など様々な面で生徒が活躍しています。全クラス、授業態度は良好で成績面でも数年前に比べ大分向上が見られます。これらは先生方が基本的に生徒を大切にしてきたことが実を結んだものです。このことの意義の大きさはとても書ききれないほど大きいものと感じています。生きた良いモデルと言えますので。
このような感じで、「+のストローク」を個人のみならず学級作り・学校作りに活かしてほしいものです。
次にどんな場面でどんなストロークがほしいか、より具体的に挙げてみます。
A 対 児童生徒
1、朝、会ったら、こちらから声をかける。
「おはよう、」の後に元気そうだね。顔色悪いね、大丈夫? ○○さん、(名前を呼ぶだけでも+) きのう部活がんばってたね! パチン!(ハイタッチの音。いわゆるスキンシップの一つ) 等々、「おはよう」にもう一言、+の言葉を。
(×「スカートが短いぞ!」などと、指導的な-のストロークから入らないことです。それは後から)
2、授業中や校内生活時
・認める、ねぎらう、・・とにかく+の言葉の嵐を!
・小さいことでも、認める、ねぎらう
発言の少ない子でも、ノートを、姿勢を、静かにしていることを認める、ねぎらう。
・ノートを取らない(取れない)子でも、教室にいるだけでも、聞いていたら認める、ねぎらう。一行でも書いたら認める。「今日はノートがんばったね」
・何もしない子でも、存在していること自体を認める、今日も元気だねと微笑んでやる、部活の頑張りを認める、ねぎらう。きちんとした服装も認める、頭をなでてやる・・・・
*とにかく、なんでもいいから机間巡視のとき に+の声がけや心地よいボデイランゲージをどんどん行いましょう! ただ黙って見回っていてはもったいない時間です。
*案外忘れがちなのが、ちゃんとやっている子に対してです。こちらが「いつものようにがんばってるな」と思うだけで、言葉にしていないことが多いです。案外欲求不満を起こしてるかも。「いつもちゃんと頑張っていてすごいね」と笑顔と一緒に言葉で伝えてあげましょう!
*授業の終わりに、花○をつけてあげると予想以上に喜びます。中学3年生でもそうです。2~3回続けると、ほぼ100%がノートを取るようになります。「花丸ちょうだい!」と駆け寄ってくるようになります。 試しにやってみてください、花○作戦。
このように
*廊下であったら、何か世間話をする、笑顔を見せる、ハイタッチをかわす、服装を認める、・・・なんでも良い、とにかく+の関わりを!
*心構えとしては「とにかくこの子の良いところを見てあげよう」という姿勢を主とすることです。
エゴグラムのCP(批評的な親心)よりもNP(母性的な親心)をメインにすることです。CP過多だと、どうしても子どもの欠点が先に気になります。ただ、NP優位型になるための訓練が必要です。日々、心がけましょう。
3、集団としてのプライドを育てる
子ども個人と同様に、学級単位、学年単位、学校単位での「自己肯定感」の育成も大切です。「集団的自己肯定感」とでも言えるでしょうか。「この素晴らしい学校(クラス)の一員で誇らしい。」というような感情を育てたいものです。
【学級で】
担任は折にふれ、そのクラスの良い点、進歩した点、がんばった点などを言葉にして伝えてあげます。そして「このクラスのここがこんなふうに進歩したね」「このように協力がみられて良かったよ」などと具体的に評価を返してあげます。もちろん弱い点も伝えてもよいでしょう。しかし良い点が勝るように伝えて、子どもたちが「ああ、自分たちのクラスの長所はこういうところなんだ」と自覚させてあげてください。そして、「このクラスはこんなにすごいんだ」「このクラスの一員で良かった」という自覚を育てましょう。Q-Uテストの「学級満足群」を育てることになります。心が満たされていきます。そういう中で相互理解や協力性も育ち、いじめなども起きにくい学級の体質となっていくでしょう。
当たり前のことのようですが、実際には、まだまだ先生方のストロークが足りないと感じます。
【学年で】
学年主任は、学年集会などの折にふれ、やはり学年集団としての長所を生徒に伝えなければなりません。内容は学級の場合と同様です。学年としてのプライドを育てるよう頑張りましょう。
特に行事とか無く何も話す内容がないようでも、元気で子ども達が登校し笑顔で過ごしているだけでもすごいことです。ありがたいことです。その嬉しさを伝えたらよいでしょう。問題行動も特に無ければ、それはすごいことです。「立派にみんな過ごしているね、誇りを持って!」と言えるはずです。そして学級同様に「この学年で良かった!」という意識を育てることです。
【学校長として】
学校長はやはり特別な存在です。特段の権威を持っています。その校長から高い評価をもらったらどれほど嬉しいことでしょう。これを忘れてはいけません。(教頭も、もちろん同様です)
学年同様に、全校朝会などの折に、校長の口から子ども達のがんばりに対して、+のストロークをたくさんかけてあげてほしいものです。これまで出会った方々の中で、そのことを意識されていた方は残念ながら1、2名くらいです。
そして、「この学校は全国に誇れるいい学校なんだな」「ああこの学校の一員で良かった!」という意識を育てることです。説教なんて他の先生に任せて、良いとこ取りで、笑顔で子ども達の良さをいっぱい伝えてほしいものです。
コツは「説教」にならないようにすることです。長たらしい道徳的な講話などもだいたい説教臭くて魅力がないようです。「好ましい事実を、+に評価して子どもに返す」、このくり返しだけでも効果的だと思います。
内容は、事実に基づいて感情を伝えることです。 (親業の「わたしメッセージ」の活用)
・みんなが元気でいてくれてうれしい。
・いつもあいさつがさわやかで心地よい。
・みんなが笑顔でいてくれることがありがたい。
・行事でこんな頑張りが見えて感動した。
・授業中まわってみると、どのクラスもがんばっていて立派だ、感心した。
・地域でこんな良い話をきいた、うれしい。
・きのう地域の人から感謝の電話が入った。うれしい。涙が出そうになった。
・○年○組のこんな様子がとてもすばらしかった。・・・・
などなど、子ども達を愛していれば、いくらでも話はできるはずです。
おまけに【生活指導で】
基本は同じです。生活指導担当者はまるで説教係のように勘違いされがちですが、「認める、ねぎらう」ことを主としたら良いと思います。その合間にどうしても言わなければならないことを残念そうに入れる。これがコツです。もう一つコツとして思うのは、決まり指導が優先されがちですが、安全指導を主としたらどうでしょうか。子ども達の生命の安全と健康のため、という視点からのいろいろな指導の方が「押さえつけられ感」が少なくスンナリと子どもの気持ちに入ると思います。
私が生徒指導主事を担当したとき、夏休み前の終業式後の指導ではまず第一声、「死なないでください」と言いました。「万引きなんかするな・・・」ではありません。「事故に気をつけて」という意味ですが、何よりひとりも欠けることなく元気で2学期を迎えてほしいと思うからです。そう思う根底にはこれまでに何人か教え子を事故や病気で亡くしていることがあります。無事に長期休暇を過ごしてほしい、それは本心でした。
そして2学期の初めの言葉は「みんな元気でいてくれてありがとう」というものでした。「500人以上の人が事故や問題もなく無事に夏休みを過ごせたということ、それもすごいことでしょう。それも自分たちの誇りにしてください・・・」そんなことをいいました。ヤンチャな子も多い年でしたが子ども達はそういう話は不思議と静かにちゃんと聞いてくれます。
学校が平和なのに、無理に瑣末な悪いところを探しだして決まり指導に励む必要はないでしょう。認め、ねぎらって、あとは「健康・安全指導」だけで十分のような気がしますが、いかがでしょう?
B 対 保護者
おとなも+のストロークはほしいものです。モンスターペアレントなどと話題になりますが、そういう方は学校に+ストロークを求めていることも多いと思います。それに気づかず、-のストロークを注いでしまう、つまり火に油を注ぐことを繰り返してしまうこともしばしばでしょう。
モンスターといわれるケースに限らず、保護者対応のコツは、基本的に傾聴法を活用することです。しっかり思いを受け止めることです。2時間や3時間は覚悟して。
そしてそれを、+に評価することです。「ああ、これだけ子どものことを真剣に愛情深く考えているんだなあ」と。で、そのことを言葉で伝えます。「お子さんのことを真剣に考えてあげていらっしゃるんですねえ」「よくおいでくださいました、本音をお聞かせいただいてありがとうございます」とねぎらうことです。
傾聴は最もすぐれた+のストロークです。
また、「ねぎらうこと」の意義は、ブリーフセラピーでも大きく取り上げられます。
逆に、やらない方がよいのは、「保護者を学校に呼びつける」という発想です。ゲーム分析にいう『さあ、とっちめてやるぞ』ゲームのパターンです。これは子どもの解決しにくい問題にいらだった学校側から保護者に、ストレスをぶつける形で「親なら責任もって指導しろよ、しっかりしろよ!」というメッセージとして伝わるもので、親からは非常に反発されます。口では「ご迷惑をおかけしました、家でもよく言い聞かせます・・」などと言って帰りますが、腹の中は「恥をかかされた」と煮えくりかえっています。ですから、次回同じようなことがおきて、再び呼んでも「いちいちそんなことで呼ぶな!」と反発されてしまうのです。協力体制なんて望むべくもありません。
学校は裁判所の出先機関ではありません。裁き手ではなく、あくまで援助者の立場で「この子のためにできることは学校も頑張ります、協力いたします、ご一緒に考えていきましょう」というスタンスに徹することがカギです。
C 対 職員
職員自身も+のストロークはほしいものです。
*管理職の方から一般職員へ
もちろん常にそれを意識してほしいと思います。認められ、ねぎらわれることはいくつになっても嬉しいものです。その一瞬で苦労が報われたりもします。
今時、パワーハラスメントするような人は管理職になってはいないと思いますが、それは最も低次元のコミュニケーションと考えます。自信の無さの裏返しというのが世間の常識でもあります。高圧的な態度が主となる上司には部下は面従腹背的なつきあいにならざるをえません。孤独な人生と言えるでしょう。カウンセリングを学んだほうがよいでしょう。
*一般職員から管理職の方へ
これは忘れられがちなことです。校長、教頭も人間ですから、やはり+のストロークは欲しいでしょう。おだてやゴマすりではなく、事実として世話になったり良い指導をもらったり見習うべきことを目の当たりにしたら、言葉にして伝えるべきです。「うちの学級の生徒が校長先生からうれしい言葉をいただいて、とても喜んでおりました。ありがとうございます・・・」「この間の朝会での一言は大変勉強になりました。感激しました・・・」など、当たり前に言える関係が大切だと思います。
*同僚へ
同僚同士も+のストロークはほしいものです。
挨拶や「ありがとう」など、常識的なものは当然すすんでやらなければいけません。わりと挨拶もできない人が多いと感じるのは私の不徳の致すところでありましょうか。しかし、子どもに厳しく指導するわりに挨拶ができないなぁと正直思います。
挨拶に加えて、やはり「認める、ねぎらう」ことをお互いに交し合いましょう。やはり言葉不足だな、と感じています。先輩から後輩へはもちろんですが、後輩から先輩へもこれは必要です。
*情報交換
子どものことについての、「プラスの情報」の交換も忘れられがちです。事故、事件のいわゆる「報連相」は重視されますが、良い点についての情報交換の重要性が意識されていません。
例えば、ある授業の作業が終わったあとA君が片づけを熱心に手伝ってくれた場合、担当の先生はもちろん「ありがとう、ごくろうさま」と+のストロークを与えることでしょう。でもそれだけではもったいないのです。
私は、メモの交換をお勧めします。「A君が手伝ってくれて助かりました。」というメモを担任の机にあげて置くだけです。すると、担任からA君に「○○先生の手伝いをしてくれたんだってね、喜んでいたよ。」とストロークをかけることができます。一つの行為に二人からストロークをもらうことがA君はできるわけです。
朝の学年の打合せの際に、「3組のA君が○○先生の手伝いをしてくれました。」と、情報を共有することもよいでしょう。それを聞いた他の先生方が同様に「○○先生の手伝いをしてくれたんだってね、」と声をかけることができますね。一つの行為にいくつものストロークをもらうことができます。
良くない情報ばかりを共有して、大人がその子を白い目で見る、などということより、ずっと気のきいたやり方ではないでしょうか。
情報交換ノートのようなもので生徒の動きを把握する方法をとってる学校も多いでしょう。しかし、そこには問題行動ばかり書かれていないでしょうか?生徒の良い動き、成長の様子は書かれていますか?マイナス面ばかりの評価では一面的で正当な評価とは言えません。むしろプラス面の情報交換をこそ、積極的に行うべきでしょう。
*留意点
1、「褒める」ことの危険性
→「認める」を!
さて、前に書いたように、これまで「褒める」という言葉はなるべく使わないできました。そのわけは、「とりあえず褒めればいいのか」と誤解されてしまうことの危険性を感じるからです。
次のように考える方はいないでしょうか?
「+のストロークは褒めることだな、これは使えそうだ、とにかく褒めていい気持ちにさせて、あの子を良い子に変えていこう・・・」。そして本人に「君はほんとうは良い子なんだよ、やればできる子なんだよ、力を持ってるはずなんだよ・・・」などと言う。まあ、一時的には効果もあるでしょうが、こんな感じではうまくいかないことが多いものです。なぜかというと「本心ではないが、とりあえず褒めることで人をコントロールしよう」という意図が隠れているからです。そしてコントロールされているという感覚は不愉快なものだからです。掌で転がされているような。
操作的なこういう言い方の裏には「条件付受容」の傾向が強いものです。「私の思い通りになったら愛してあげる」というわけです。これでは本当の+のストロークにはなりません。褒めてもうまくいかない方は、このようなことの繰り返しになってはいないしょうか?
やみくもに褒める必要はないのです。「好ましい言動の事実」があったとき、それを「認める」ことだけで良いと思います。A君が手伝ってくれたとき、「よく手伝ってくれたね、」だけでじゅうぶん。加えて「うれしい、ありがとう」と感情を伝えてもよいでしょう。しかし、「よく手伝ってくれたね、」の後に「えらいぞ、すごい、りっぱだ、いつもこうだといいね・・・」などの褒め言葉は無くてもよいのです。特に最後の「いつもこうだといいね」には説教が含まれています。ふだんはそうじゃない、いけないぞ、という批判が。だから聞いた子どもは「チェ!」という気持ちになってしまいます。
ですから、「褒め上手」というより「認め上手」を目指しましょう。好ましい言動をすかさず見逃さずに「お、○○ができたね、してくれたね」といえる感性を持ち「私はあなたの努力をちゃんと分かったよ、見ていたよ、認めたよ」というメッセージを伝えてあげることが重要です。
「褒め上手より認め上手」の勧めは、評論家の尾木直樹氏もテレビで同様のことを言っていました。
2、Q.「叱ることは、いけないのか?」
A.どうぞ。でもその前に「+のストローク」!
マイナス面よりもプラスの面を見ていこう、と言いますと、必ず出てくる疑問が「叱っちゃだめということ?」です。「本当にそれでいいの?」という懐疑的な気持ちもこもっています。
あえて申しますと、これまでどおり、叱っても注意してもけっこうだと思います。まずい言動はやはりすかさず正さなければいけないでしょう。 問題は、一般的にこれまで「叱る」一辺倒だったことにあります。つまり「認める、ねぎらう」ことが、あまりにも少なかった、という点なのです。
ちょくちょく叱っても注意しても良いでしょう、しかし、その5倍も10倍も普段から+のストロークをかけてくださいと主張したいのです。
叱るのが好きな先生は、やはり+のストロークは苦手な方が多いようです。CP(批判的性格傾向)が強いからですね。
普段、+のストロークがじゅうぶんで信頼関係ができているなら、いくらでも叱ってください。
でも、うまくいくと、だんだん叱る必要がなくなるのです。それは+のストロークによって、子ども達がどんどん成長していくからです。そうなるとこんなに楽なことはありません。勝手に育つのですから。あとは見守り、良い点にすかさずストロークをかけてさえいればいいのです。そういう意味で、実は生活指導、いや教育なんて簡単なことなんです。
ずいぶん前のことですが、ある中堅世代の男性の先生と3学年の1年間だけ同じ学年で仕事をしたことがあります。はたから見たら、ちょっと大変な学年という感じでしたが、2年生の後半は大分落ち着きを見せていました。私は学年主任でした。その方はいわゆる硬派で、いざとなればガツンとやってやる、いうタイプです。そこを買われて連続して3学年につけられたのでしょう。
さて一年が過ぎ、3月に最後の飲み会を行った際、その方がしみじみとこう言いました。
「先生、この一年間わたしは学級で一度も怒鳴り声をあげませんでした。生徒が自分たちでどんどん動いてやってくれるんで、その必要がなかったんです。ぼくは、これから、この方向でいきます・・・」
ああ良い仕事をされたんだなぁ、と感激させられた一言でした。
3、実践に必要なこと
1、練習が必要かも
心を込めて「認める、ねぎらう」ことは簡単そうで、実は案外難しいものです。それは、普段の生活の中で定着していないからでしょう。私たちにはそういう文化がないのかもしれません。
「がんばっていたね、ごくろうさん」「助かったよ、ありがとう」「笑顔がさわやかだね」「いい質問ですね」「いつもきちんとしているね」・・・文字にすれば平凡な言葉でも、いざ言葉にしようとすると、気恥ずかしくて照れたり、ぎこちなくなったり緊張したり、心がこもらなく、わざとらしく聞こえたりと、なかなかうまく言えないものです。
それで、練習が必要となります。言い慣れないとダメなんです。どこでやるか。車の中が良いと思います。そこなら大きな声で練習できます。通勤途中などで毎日できることです。
笑顔の練習も大切です。わりと自信の無い人が多いのでは? 信号待ちしている間にバックミラーを使って、笑顔の練習をしましょう。笑顔も大きなストロークです。そして慣れてくると、自然な言葉がけが意識しなくてもできるようになります。
+のストロークから期待できるもの
初めの方で述べたことを、詳しく述べます。
1、きわめて明快な理論、シンプルで理解しやすいということ
身近な事例と照らしてみて、実感を伴って納得しやすい理論だと思います
2、だれでも実践でき、しかも学級・学年・学校運営に即座に役立つということ (家庭でも)
少し練習してから、実際にストロークをかけることをやってみてください。ちょっと勇気がいるんですが、想像以上に大きな反応に驚くと思います。一度その手ごたえを経験すれば、また次の実践への意欲が生まれます。そして良い意味で習慣化し、当たり前のように自然なストロークがたくさん出るようになります。名人への道の第一歩を踏み出したことになります。
3、予防的、開発的、または育てるカウンセリングという意味で、生活指導の要となること
たくさん+のストロークをもらっている子ども達は、心の承認欲求が満たされます。そうなると-のストロークは必要ありませんから、注意を受けるような問題行動は次第に減っていきます。これまでの生活指導というと、何か問題が起きた後の事後処理が主ではなかったでしょうか? 次から次へと、もぐらたたきのように発生する問題に対応するだけで一年が過ぎる・・・非常にむなしい限りでした。
生活指導は成人病の問題と似ています。病気になってからどう治療するかはもちろん大切ですが、根本的には病気を起こさないような取り組みがより重要です。つまり成人病をどう治すか、より、どう成人病を予防するかがより将来を見据えた対策と言えるでしょう。生活指導も同様で、問題行動の起こりにくい体質の学校・集団作りによりエネルギーを注ぐべきです。「問題児・生徒の取締り」などというレベルでなく、真に「より良き児童・生徒の育成」を目指した生活指導が可能になると思います。これが「予防的・開発的・育てる」指導であります。
4、昨今強調される「褒めて育てる」ことの理論的裏づけとなる
「+のストロークで育てる」と言いなおしてよいと思います。ほめて育てる、などというと、なんとなく情緒的、感傷的、センチメンタルなイメージがついてまわり、なにか頼りない指導方針と感じられます。しかしこれまで述べてきたように、+のストロークは合理的で、強力な人間育成の「武器」となるもので、教育者的な立場にある者はみな使いこなせなければならないということです。「おれにはできない」では済まされないのです。
ちなみに、とても厳しく恐い先生でもなぜか人望を集める先生という方がいるものです。「あの先生に説教してもらいたい」という子どももいたりします。しかし、若い人がその厳しいスタイルを表面的に真似ても、うまくいかないものです。
どういうことかといいますと、その怖いけど人望ある先生は、実はどこかで+のストロークを発しているのです。言葉はきつくても、声の調子がとても温かいとか、その子のことをよく分かってくれているとか、大変高いレベルの知識・技能をお持ちで尊敬されているとか、不器用な表現でもふだんは子どもに+のストロークをかけているとか、その先生が意識しなくても偶然にそうなっている場合なんでしょう。ですからそれは、人柄とか人徳とかいう言葉で表現されてきました。なかなかマネできないなぁ、と。
これは非常につかみどころがなく、あいまいな評価ですが、ストローク理論でそのことは説明できるわけです。
5、広く活用されている「Q-U」とも関連を持たせることができる
Q-Uのいごこちテストでは、学級満足群を増やすことが目標となるわけですが、そのツールとして、このストローク理論が使えるわけです。テストの結果を見て、「ああ、うちのクラスは承認得点の低い子が多いなあ」と分かっても、その次どうするのでしょう。ここで行き詰っている方が多いのでは? 具体的に何をしてよいか分からない、と。
そこで「+のストローク」を使えばよいのです。承認欲求を満たすためです。Q-Uでは被侵害得点も見られますが、承認得点をあげればあげるほど被侵害得点は低くなると思います。心の欲求が満たされるので意地の悪い気持ちが失せて、いじめ的行為が減ると考えられるからです。そうなると学級満足群が増えていきます。だから、学級経営(学校経営も!)がなんとなくうまくいかないなあと感じたら、「心の欲求不満を起こしているかな」と仮説を立て、とりあえず「+のストローク」をかけることにいそしめば良い、ということになります。
6、なによりも、教師と児童生徒との交流が深まり、教育効果もあがる、生活指導上の悩みが減る。つまり教師の仕事が楽しくなる
+のストロークに慣れ、基本的な態度がNPを主体としたものとなると、意識しなくとも+のストロークがいつも発せられるようになります。そうなると「気持ちをよく分かってくれる優しい先生」と言われるようになり子ども達はたくさん寄ってきます。本音の交流、エンカウンターも豊富となり充実した交流が生まれるようになるのです。そうなればしめたもの! 教師冥利につきるというものです。
事 例 実例をいくつか挙げてみます。
(1)服装指導で
ある中堅世代の女性の先生からうかがった話です。よく研修会などに参加されている勉強熱心な方です。この+のストローク理論を聞いて、さっそくある日実行してみたそうです。
朝、生徒を迎える時間に玄関に立っていたら、いつも「シャツ出し」で指導されている男子生徒がやってきました。「また、シャツが出てるよ」と出かかったのをグッと飲み込んで、「おはよう、今日は顔色いいね、部活がんばってるね」と声をかけるだけにしました。
あくる朝、またその生徒が登校してきました。先生の顔を見るや、おはようの後に「ほら見て、今日はシャツ入れてるぜ!」と自慢そうに見せたということです。「全然、指導なんてしていなかったんですけどね。」と先生は笑っていました。
(2)ある校長先生との会話
以前勤めた中学校の校長先生は、職員には厳しい方でしたが、全校朝会ではよく生徒を褒めてくれていました。説教じみたことはほとんどなかったと思います。ある宴会の席で酌をする際に良い機会と思ったので「いつも朝会などで生徒を褒めていただいてありがとうございます。生徒は幸せだと思いますよ。」とさりげなく申し上げました。すると「おお、そう言ってくれるかね。私は集会ではなるべくそうするように心がけてるんだよ。あなたにそう言ってもらって嬉しいよ。」と笑っていらっしゃいました。やはりその頃は、学校全体が明るいムードで楽しい中学校でした。
付け加えますと、その校長先生が職員にお願いとして次のように言いました。「集会の私の話している際に、先生方が生徒の間に入っていって『顔を上げて』というような指導をなさってくれているが、できればそれはやめてほしい、気になってしかたないので」 実際、姿勢が少し崩れていても頭が下がっていても静かにきいている場合も多いものです。あまり「完璧な集団行動」を求めすぎるのもいかがなものでしょうか。
(3)初任者 その1
ここ数年間、初任者研修を担当させてもらってきました。若い皆さんと毎年出会うことは非常に楽しくてありがたかったです。私の研修で強調したことは、やはり+のストロークの名人になってほしい、ということでした。どう注意するか、叱るか、ということより、どう生徒の良さを発見し言葉や態度で返していくか、と徹底的に意識してもらいました。結論からいうと、みなさん大変優秀で、+のストロークが上手になりました。生徒との関係もよく、学習指導や部活動指導などでも良い成果をあげてくれました。何より生活指導面での悩みがほとんどなく過ごしていただいたことは大変立派だと感じています。
ある女性の数学の先生は元気がよく+のストロークを喜んで使っていました。ある2年生のクラスにはエスケープを繰り返すような指導困難な男子生徒がいたんですが、「指導をあせるな、じっくり構えて、良い点をなんとか探していこう、とりあえず一声はかける程度で」とアドバイスをしておりました。その生徒はしばらくは、教室にいたとしてもノートも出さず勝手なことをしていましたが、他を侵害するようなことはなかったので、「とりあえず教室にいるだけでも+の評価をしてあげよう。」そんな感じでいたのです。私は教室の後方にいたので、たまに雑談の相手をしました。家業の農業の手伝いはよくするというのでその活躍ぶりを聞いてあげて+のストロークをかけたりしていたのです。嬉しそうに話していました。初任者は他の生徒へは+のストロークを頑張ってかけ続けて、良い成果をあげていました。この男子生徒へは「ノートだけでもがんばってみない?」程度の声がけにとどめ、深追いはしないでいました。
さて半年ほどたったある日、そのクラスを一週間ぶりに訪ねてみましたら、あの生徒はノートを広げています。授業にはあまりついてはいけないのですが、少し書き写すマネをしておりました。「おー、がんばってるね!」というとニコッとしておりました。そして3学期にはいると、教室に普通にいて、板書はほとんど写すようになっていました。
初任者には葛藤があったと思います。「このままにしておいていいのだろうか、もっと問題行動がひどくなるのでは・・・?」たしかに数ヶ月、半年と何もしないでいるような状態は辛かったと思います。しかし振り返ってみると、「たった数ヶ月、半年」で行動を改善するに至ったということはすごいことではないでしょうか?ちゃんと指導を!と毎日のように口をすっぱくしながら指導を繰り返しても、卒業式まで「荒れ」を引きずってしまった例のほうが多いような気がします。
担当させていただいた初任者は、皆さんほぼ同じような体験をなさっています。初めは半信半疑な+のストロークの理論も、一年かけてその効力を体験すると、自信をもって実践するようになります。皆さん、その後も悩んだり、怒鳴ったりすることもなく良い仕事を続けているようです。
同じエネルギー・情熱を傾けるなら、より効果的な方法をとるべきですね。
(5)続き
ところで、この男子生徒、学年が上がった年度当初、残念ながらまたエスケープやら下級生への圧力やら、反抗的な言動やら、問題行動がぶり返してしまったようです。ある程度安定していた学級から新クラスへ、また異動に伴う職員の変更などによる不安が大きかったと思われます。防衛的になっていたのでしょう。そこへ持ってきて、注意・指導が主となる関わりに「戻って」しまったという構図かと思われます。(+のストローク不足に)週に一回お邪魔するたびに、ちょっと荒れた表情の彼を見て、大変残念で、切ない思いをしていました。
しかし、一ヶ月ほど後には劇的な変化をとげます。何があったかというと、学校長自らが彼の対応をされていたのです。お邪魔するたびに、校長室から彼と校長先生の会話が洩れ聞こえてきて、徹底的に傾聴と+のストロークに徹していらっしゃることがよくわかりました。そして、その生徒は満足すると教室にもどります。彼の「荒れ」は再び見事におさまりました。詳しくは伺っていませんが、いわゆるストレスが溜まると校長室に来るようです。そして吐き出してスッキリして帰る、というわけです。傾聴は最もすぐれた+のストローク! 校長先生のファインプレイでした。
(4)初任者 その2
男性の理科教師はスポーツマンでもある。受け持った2年生のあるクラスにはADHD傾向の男子生徒が3人ほどいて、年度当初に参観にいった私も「この子たちの賑やかさはちょっと手ごわいな」と感じました。「悪い子」ではないが、おしゃべりが止まらない「明るい困った子」達です。引きずられて周りの生徒もおおむね私語が多く、かなり大声を出さないと聞こえない状況で「これはちょっと、ガツンといかないと難しいかも・・・」と正直私も不安になりました。しかし、初任者には「あせらないで。3ヶ月、半年後に落ち着きが出ればいいというぐらいでいこう。」といい続けました。そして+のストロークをかけることを求めました。
結果的に、1学期の終わり頃の様子は賑やかさは残っていたものの、3人のうち2人はほとんど目立たなくなっていて、普通に前向きに授業を受けていました。一番ひょうきんで賑やかな生徒も、「理科は大好き!中間テストは理科が一番良かったよ!」と嬉しそうに話していました。初任者も「今はほとんどストレスはないです。」と楽しそうでした。「一番にぎやかな子も、発言はよくしてくれるし、反応もいいし、私が担当する部活でもがんばっています。」と言っていました。2学期も同様で、全体に落ち着きも生まれ、問題なく過ごすことができました。受け持っているどのクラスでも、生徒は集中し、まるで小学生のように発言を求めてハイハイ!と手があがる授業風景となっていました。怒らなければならない場面はほとんどないようです。
正直いって、私からすると、初任者の+のストロークのかけ方はまだまだ未熟で、量的にも求めるところの五分の一というところです。それでも、これだけの威力が+のストロークにはあるということです。逆にベテランと言われる世代の先生が、マイナスのストローク過多の傾向があって、授業や生徒との関係が上手くいかないという傾向もあるのではないですか?
(6)「褒めて」失敗の例
ある中学校でのこと。非行・不適応傾向のある男子生徒と、いろいろな成り行きでラーメンを食べる機会がありました。その際に生徒自らぽつりぽつりと小学校時代の話を始めました。
「オレ、何か問題が起こると、いつも先生に呼び出されてたんだ。『おまえ、○○のこと知らない?』って感じで。そんな時、いつも言われるのは『お前はほんとはいい子なんだよ、信じているよ、できる子なんだよ・・・』みたいなこと。
真っ先に疑ってかかるくせに、心にもないこと言いやがってさ、ほんと、ムカついたよ。」
心底から湧いて出てくる真実の言葉でないと、むしろマイナスの結果を生んでしまいます。
(7)元 初任者(経験3年目くらい)
さて、初任者には徹底して+のストロークを叩き込んだつもりですが、時間が経つとなんでも忘れがちになるものです。ある体育科の男性教師は2年目、3年目と学級経営も順調で、大変立派に仕事をなさってきました。運動会の時期を迎え、彼は中心的な役割を任せられました。それも立派に仕事を進め、本番を数日後に控え準備は万端のように見えました。しかし、彼が9月に入ってからの全体練習の後に、生徒の前で総括をする場面で、若干物足りなさを感じたのです。「今日は何々で、こうでした。明日は何々の練習になります。各チームで準備を整え、がんばりましょう」という連絡程度の話で、物足りないのです。そこで、その放課後、廊下で会ったときに一言「ご苦労さん、だけど、もうちょっと+のストロークを入れた方がいいんじゃないかな」というようなことを言いました。
次の日も猛暑の中で生徒は一生懸命練習に取り組みました。午後の練習も終わり、演台から彼がまた一日の反省を述べます。最後に「今日もお疲れ様。こんな暑い中で、しかも何日も続いていてみんなクタクタだと思いますが、リーダーを中心に良くがんばってくれました・・・」というような感じです。その瞬間、不思議なムードが流れたのです。全校生徒、職員の間に、なんともいえない心地よさというか、充実感というか、「今日もがんばって良かったな、報われたな・・・」というような、満ち足りた空気が漂うような・・・。
そのとき、つくづく思ったのは、「ああ、やっぱり正当に評価を受けた瞬間に、人は育つのだな」ということです。彼のストロークによって生徒達は「疲れているけど、今の取り組み方でいいんだな、有意義な一日だった、明日もがんばろう」そんな風に思い、確認してくれたことでしょう。
逆に言うと、いくらがんばってみても、正当な評価をもらわなければ、どの程度がんばったらよいか分からない、張り合いがないということです。「不思議な心地よさ・ムード」などと、あいまいな表現で恐縮ですが、やってみてください。子ども達のがんばりをきちんと認め、言葉で返してみてください。その瞬間きっとその大切さ・意義が分かると思います。
運動会本番、生徒たちは爽やかに、立派にやり遂げたことは言うまでもありません。
まとめと今後の課題 ~「育てる生活指導」の実現のために~
と副題をつけましたが、これまで「育てる」という意味が漠然としていたように思います。「どんな指導も、最終的には生徒が育つことを目的としているんじゃないか、厳しく躾けることも同様ではないか、当たり前のことではないか」という感じです。ですから体罰についても「時には愛のムチも必要」という擁護論が消えないのです。しかし、そういった伝統的な学校の価値観ではなかなか上手くいかなかったという事実もあって、ここ二・三十年の間、「カウンセリング」的手法が教育界で試されてきたのだと思います。私もいろいろと学ばせていただいてきて、最も学校で効果的な手法は何か、つまり「ストレスなく、より効率的に生徒を育てることができ、生徒も保護者も、そして先生方も幸せな日々を送ることができるための手法は何か」を考え続けてきました。その結論として、現在は「交流分析」とその中の「ストローク理論が有効」と考えているわけです。
「褒めて育てる」という言葉を最近とみに耳にしますが、これもなんとなく情緒的で、感傷的なスローガンのように聞こえたりします。その裏には「それだけではうまくいくわけない」という反感もこもっていたりします。しかし、このストローク理論は褒めて育てることの必要性の理論的裏づけとして大変明快に指針を示すものであります。教育現場で大変有効です。有効なだけでなく、+のストロークが必要不可欠なものであることを示してもいます。教育界に限らず、人の上に立つ者は+のストロークをかけることができなければならないのです。それがなければ人は育たないということです。
もう一つ良い点は「簡単な理論」だということです。カウンセリングを学ばなくても、だれでも理解でき実践でき、しかも効果が高いと言えるでしょう。+のストロークによって、自己肯定感が高まります。前向きの意欲が高まります。好ましい人生観と人間性が育ちます。自立心・自律心も育ちます。そのように「心」が育つということは、同時に不快な問題行動が減るということにもつながります。
今、教育のお仕事でつまずいている方、悩んでいる方は、とりあえず騙されたつもりで「+のストローク」をやってみてください。こんな簡単なことでも、きっと新しい世界が開かれることと思います。年度末近くなると、初任者の方々とよくこんな話を交わします。「+のストロークさえうまくできれば、教育なんて簡単でしょう」「はい(ニコリ)・・・」どの方も生徒と本音の付き合いができ、しっとりと落ち着いた授業を展開していました。ちょっとトッポく落ち着かない問題児の女子を「可愛くてしかたないです、自分の養子にしようかな」とまでおっしゃった女性もありました。
今後の課題として思う事は、どれだけ学校現場にストローク理論が定着できるか、ということです。各種研修会で紹介してもらいたいと思います。
もう一つ、教員養成段階でしっかりとこの理論とテクニックを仕込んでほしいということです。大学レベルで頑張ってほしいところです。というのも、教員になる人は学校世界に適応できた人達がほとんどでしょう。つまり「伝統的な学校の価値観」を疑いもなく身につけた人がほとんどです。ですから、なかなか新しい発想ができないようです。若い先生ほど保守的な教育論に染まっていてビックリすることがしょっちゅうです。
頭の柔軟性を失ってしまった方は、もう一つ「論理療法」をお勧めします。これも理解しやすいものですから本当にお勧めです。改めてご紹介することとしましょう。
とりあえず、「+のストローク」を広く活用していただくことを祈念して、
筆を置くことといたしす。 (了)
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